p33・34 17 下街道と国道19号
<『さいお』春日井市立西尾小学校開校100周年記念ハンドブック2010>
下街道が国道19号に発展していく様子が、『郷土誌かすがい 第53 号』に詳しく出ています。それを簡単に紹介します。
まず、明治6年(1873年)9月2日に、下街道が2等道路に指定されます。幹線道路に接する脇街道という扱いだったことに なります。大正9年(1920年)4月に道路法が施行されて、県道名古屋長野線となりました。 この間、中央本線が開通するという大きな出来車がありましたが、東濃方面から名古屋への陶器輸送がかえって増加し、加えて亜炭の産出が盛んとなって車馬の交通が増えました。そのため、曲がったり、狭かったりする部分をなくすために、篠木から坂下に新道が開設されるなど、整備がすすんだとのことです。
それが、昭和27年(1952年)12月4日に新道路法が施行され、国道に昇格しました。当時は国道に1級2級の格付けがあり、19号は1級国道とされました。昭和31年(1956年)6月には、勝川から内津峠まで道路の幅を7.5m以上に拡幅する工事が終了。昭和34年(1959年)に舗装工事が完了したとあります。それが、昭和40年(1965年)には法律の改正によって格付けがなくなり、一般国道19号となりました。
その間、増加する一方の交通量に対処するたのに、国道19号のバイパスの計画が持ち上かります。昭和37年には調査にかかり、昭和43年(1968年)3月に、まず瑞穂通6丁目から国道155号 の間が開通しました。昭和44年(1969年)にに春日井インターチェンジ(東名高速道路)が開業しています。昭和49年(1974年)には坂下町4丁目まで(今のアミがある交差点のところ) 、そして、昭和59年(1984年)には内津口まで開通。平成6年(1994年)3月に内津トンネルが完成し、多治見市まで全線か開通したのです。それにともない旧国道19号は県道内津勝川線となり、翌年、春日井市内4車線化も完了。現在に至っています。
特筆すべきことは、この国道19号の開通記念行事(昭和59年3月24日)に、西尾小学校の児童が参加していることです。伊藤浩さんによると、道路にイラストを描いたそうで、その様子が新聞でも紹介されたとのことです。また当時発行された『国道あいち』(第81号)によると、神屋橋では「末永く」の縁起をかついで、明知町にお住まいの森家夫婦三代による渡り初めも行われたとあります。
【開通記念式典時の西尾小学校児童によるイラスト】
【『国道あいち』の記事】
国道19号春日井バイパスの開通式の様子を紹介しています。